先日このブログでご紹介した「くにおの警察官人生」を読んだのを契機に、ネット検索してこんな本を新たに入手しました。

「消えた警官~ドキュメント菅生事件」(坂上遼著・講談社2009.12・¥1785)。

「消えた警官」といっても、警察ものの推理小説ではなく、あくまで実際に起こった事件が題材とされたノンフィクションです。

「菅生事件」とは、1952(昭和27)年6月2日、大分県菅生村駐在所の爆破事件が発生し、現場を通りかかった2名の共産党員が、"タレコミ"をもとに現場で待機していた警官隊によって"現行犯逮捕"されたという事件で、後に逮捕された"共犯者"らとともに、爆発物取締罰則違反の罪などで起訴されます。
1審段階から、被告人や弁護人は、真犯人は、事件の少し前に共産党の現地支部(当時は「細胞」)に加わった上、2名の幹部党員を現場におびき出した正体不明の青年「市木春秋」であると主張して徹底抗戦しますが、肝心の市木の所在も正体も明らかにできなかったため、"主犯"とされた後藤秀生さんは懲役10年、坂本久夫さんは懲役8年、その余の"共犯者"も全員有罪(2名が実刑、1名は執行猶予)となってしまいます。

控訴審では、1審弁護人の清源敏孝弁護士に、正木ひろし・諫山博両弁護士らが加わった強力な弁護団が結成され、証人申請を一切採用しないまま結審しようとする裁判所と激しくたたかう中で、地元の協力者や良心的なジャーナリストら、特に共同通信特捜班による懸命の調査の結果、結審間際の間一髪のところで「市木春秋」の正体と居場所が判明し、公判は劇的な展開を遂げていきます。

何と、「市木」の正体は、現職の警察官・戸高公徳で、上司の警備警察幹部からの指示で潜入し、"おとり捜査"の先兵役を買って出ていました。
しかも、駐在所内の爆発物は、戸外から投げ込まれたものではなく、あらかじめ内部に仕掛けられ、2名をおびき寄せた瞬間に予定通り爆発したものであること、すなわち、完全なフレームアップであることが、科学鑑定(東大工学部4教官による物理実験)などによって明らかにされ、被告人らは全員が、駐在所爆破事件では無罪となり、検察の上告も棄却されました。

一方、戸高の方は、在宅で(=逮捕されずに)、ダイナマイトを運搬したとして爆発物取締罰則違反の罪で起訴されますが、1審は「上司の命令を受けてやったのだから期待可能性がない」として無罪、さすがの検察も控訴せざるを得ず、控訴審は有罪だが「上司への報告は自首と同じ」という理由で刑の免除を受けて事実上"無罪放免"となりました。

問題はその後です。
この戸高という人物は、その後ノンキャリアの警察官としては異例中の異例ともいえる大出世を遂げ、四国管区警察局保安課長、警察庁人事課長補佐、警察大学校教授を歴任、階級も「警視長」まで上りつめ、退職後も警察職員の損害保険代理店の共済組合常務を72歳まで務めました。
この本の筆者は、つい最近にも戸高氏への直接取材を試み、電話取材に応じさせましたが、肝心の駐在所爆破の実行犯の名前は、とうとう明らかにされませんでした。

事件発生から既に70年近くが経つというのに、なぜ今、菅生事件か。
筆者は、この事件のことを書いておかなければ、と思ったきっかけは、小泉内閣以来政府が固執してきた「共謀罪」の新設であり、もしこんな犯罪類型ができれば、菅生事件のようなおとり捜査やフレームアップを見抜くことは困難になるだろう、という思いからであるといいます。
現に、民主党政権になっても、中井洽国家公安委員長は、取調べの全面可視化導入の条件として、おとり捜査や司法取引の導入を主張している、おとり捜査がえん罪の誘発につながりかねないことは、菅生事件の例を見れば明らかだ、と書いて、この本を締めくくっています。

また、あとがきでは、菅生事件の醍醐味は、「調査報道」でしのぎを削る各社の特ダネ合戦にある、ジャーナリズムを活性化させるのは「調査報道」しかない、とくに共同通信特捜班が、市木こと戸高を発見するまでの地道な取材は、今日でも十分に通用する、「発表報道」に慣らされた記者には苦痛かも知れないが、これが取材の原点であることは言うまでもない、と、ジャーナリストの原点についても言及しています。

久々に本格派のノンフィクションを読んだ思いです。
この拙文を読んで興味をお持ちの方は、ぜひご一読あれ。