弁護士出身で、最近まで最高裁判事を務めていた滝井繁男氏(弁護士出身)が、昨年
7月に「最高裁判所は変わったか-裁判官の自己検証-」というタイトルの本を出版されました。

 この本で滝井氏は、近年、最高裁判所が立法府や行政庁に対して毅然とした判決を下すことが多くなったといわれるが、確かに行政・民事訴訟についてはそういう兆しはあるものの、刑事訴訟、とりわけ、表現の自由や精神的自由をはじめとする政治的な問題については、依然として消極的であると述べています。

 ところが、刑事における最近の最高裁判決の動向について、高名な元刑事裁判官であり、周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」にも大きな影響を与えたと言われている木谷明氏の講演記録が、国民救援会の季刊誌「救援情報」の最新号(2010.11.1発行・No.67)に掲載されており、そこでは非常に興味深い解説をされています。
 
 要約すると、以下のとおり。

1 最高裁において、刑事事件の下級審判決が事実誤認を理由に破棄されることはめったになかったが、2009年になって、一気に5件もの原判決破棄判決が出された。
  しかも、これまでの破棄判決は、ほとんど全部が、最高裁調査官(ベテランの裁判官が務める)が原判決を変更すべきという報告書を出した場合に限られており、木谷氏自身が調査官を務めていた当時もそうだった(※なお、木谷氏は4件の破棄判決に関わったという)。
  ところが、09年の破棄判決は、調査官主導ではなく、民事裁判官出身、あるいは弁護士出身の最高裁判事が、自由奔放に意見を述べているように見受けられる。
  これは、良い意味で"官僚主導"から"政治主導"ならぬ"裁判官主導"に移行しつつあるという兆しではないか。

2 2009年の破棄判決のうち特に重要なのは、⑴防衛医大教授痴漢えん罪事件、⑵ゴルフ場支配人襲撃事件の2つであり、2010年にも⑶大阪母子殺害事件という重大判決が出されている。

 ⑴の判決(第三小法廷H21・4・14判決)は、小田急線の満員電車に乗っていた防衛医大教授がホームに降りた途端に、痴漢の被害を受けたという女子高生に捕まって駅事務所で警察官に引き渡され、否認のまま強制わいせつ罪で起訴され、1・2審とも有罪の実刑判決(懲役1年2か月)が言い渡されたが、これを破棄し、しかも原審に差し戻すことなく無罪を言い渡したもの。

 ⑵の判決(第二小法廷H21・9・25判決は、被告人が共犯者数名と共謀した上、ゴルフ場支配人を自宅で襲って殺害しようとしたが未遂に終わったという事件で、当初は単独犯だと認めていた実行犯のXが、懲役11年の判決を受けて控訴し、その後に初めて「実は、自分は1人でやったんじゃなくて被告人と一緒に行っただけで、実際に刺したのは被告人の方だ」などと主張し、それが認められて原判決破棄、懲役10年に減刑された後、被告人が否認のままX供述をもとに起訴され、1・2審とも懲役15年の判決を言い渡されたが、これを破棄し、原審に差し戻したもの。

 ⑶の判決(第三小法廷H22・4・27判決)は、自分の義理の息子の嫁に横恋慕していた被告人が、彼女とその連れ子を自宅マンション内で殺害して放火したとして起訴され、1審では無期懲役、控訴審では死刑が言い渡されたが、多数意見(4対1)は、情況証拠によって犯罪事実を認定する場合でも、「疑わしきは被告人の利益に」という原則を適用すべきで、「被告人が有罪と考えればその証拠をうまく説明できる」だけでは足りず、被告人が犯人ではないとしたら合理的に説明できない、あるいは説明が著しく困難だという事実関係が含まれていることが必要だ、本件ではそれがないという理由で、原判決及び第1審判決を破棄し、第1審に差し戻したもの。
 とくに⑶では、多数意見の4人と少数意見の1人(これまた堀籠裁判官)が、いずれも詳細な意見を述べており、前代未聞のこと。

 このほか、名張毒ぶどう酒事件での再審請求棄却決定取消・差戻決定(第三小法廷H22・4・5決定)、布川事件での再審開始決定に対する検察官の特別抗告棄却決定(第二小法廷H21・12・14決定)が出されているほか、これは下級審レベルだが、足利事件で「真っ白無罪」の再審判決(宇都宮地裁H22・3・26判決)が確定しており、絶えて久しくなかった再審開始決定や再審無罪判決が相次いでいる。

3 こうした変化が生じている原因は、以下のとおりいくつか考えられる。
 ①偶然説=偶然にもこの時期になって事実認定のおかしい事件が最高裁に集中した。
 ②人権派裁判官増加説=事実認定を厳格に審査しようとする裁判官が増えた。
 ③人権派調査官増加説=そういう調査官が増えた。
 ④動機説=何らかの動機があって、最高裁が意識的に事実認定を厳格にしようと態度を変えた。

 このうち、①と③は明確に否定できる。②は、かつて"お飾り"に過ぎなかった弁護士出身者のみならず、民事裁判官出身者も積極的に意見を述べているが、2008年までとは顕著に異なる判決の傾向は、それだけでは説明できない。
 そうすると、残る④の動機説が最有力ではないか。
 考えられる「動機」としては、
 ①映画「それでもボクはやってない」の影響。痴漢事件ではあのような杜撰な捜査でえん罪が生み出されていることが広く知られるようになったこと。
 ②足利事件の影響。この事件では、上告審の段階で既に押田鑑定(菅家さんのDNAと現場遺留精液のDNAの型が異なる)が提出されていたのに、最高裁はそれを無視して「事実誤認はない」と言い切って有罪判決を確定させてしまったのに、再審で"真っ白無罪"となってしまい、すっかり立場を失った。そこで、今後二度とこういうことが起きないよう、1・2審の判決についてもう少し厳格に審査しなくては、と考えるようになったこと。
 ③裁判員制度の影響。一般の市民が死刑か無罪かという大変な問題に直面し、もし判断を誤って無実の人を死刑にしてしまっては、取り返しのつかないことになる。だから、最高裁は「この程度の証拠で有罪にしてはいけませんよ」という暗黙のサインを送ろうとしたのではないかということ。

・・・という内容です。
講演内容のご紹介だけで、すっかり長くなってしまいましたが、せっかくだから私のコメントも少しばかり・・・。

 確かに、木谷氏のおっしゃるとおり、最高裁では刑事裁判においても顕著な変化が見られるようになってきたが、まだまだ油断は禁物だと思います。
 現に、木谷氏自身が、最高裁でひっくり返ると予測していた西武池袋線小林事件(手に障害があり、繊維鑑定やDNA鑑定でもクロではなく、かつ、最初に発見された犯人と逮捕された小林氏の服装も異なるのに、1・2審とも有罪判決)が、何と、上告棄却されてしまいました。
 木谷氏ご自身も、前記の「救援情報」で「後注」として「この講演でした私の予測は楽観的に過ぎたのかも知れない」と述べておられます。

 また、上記の「動機説」によっては、国家公務員法弾圧事件(休日に職務とは全く無関係に、居住地域周辺で政党ビラを配布しただけで逮捕・起訴された)で、ほとんど同種の事件なのに控訴審では無罪・有罪と結論が真っ二つに分かれた「堀越事件」と「世田谷事件」(いずれも最高裁第二小法廷に係属中。控訴審判決はいずれも裁判所HPに掲載されていない?!)の行方は、まだまだ読めないといわざるを得ません。
 いな、第二小法廷には、これまで政治的表現の自由をめぐる以下の三事件が、なぜか集中して係属しており、しかも、これまでは全て有罪に終わっています。
 同小法廷に所属する古田裁判官(元最高検次長検事)は、堀越事件の捜査・起訴を指揮した超本人で、同事件の審理は自ら回避したのに、それと同種の世田谷事件の審理は回避しないというのです。
 まさに"因縁の第二小法廷"とも言うべき様相を呈しています。
 ※大石事件(第二小法廷H20・1・28判決)
 ※立川テント村事件(第二小法廷H20・4・11判決)
 ※葛飾事件(第二小法廷H21・11・30判決)

 果たして、最高裁が、堀越・世田谷の2事件を大法廷に回付して、悪名高い猿払事件判決(最高裁大法廷S49・11・06判決)を見直すのか、それとも、旧態依然たる治安維持法的発想の世田谷事件控訴審判決を支持するのか。
 私は、最高裁が本当に"変わった"と言えるかどうかは、まさにこの2事件の結果にかかっているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

☆上記⑶の最判H22・4・27については、私の「早起き日記」でも触れていますので、ご参照ください。<H23.2.26追記>