「部下を使うことは、夏に火鉢を抱くようなものだ」

黒田孝高(黒田官兵衛)が息子の長政に語ったとされる言葉です。


黒田官兵衛は、戦国時代から安土桃山時代を生きた名将であり、部下を動かす才があったため、家臣団は強力だったと言われています。

官兵衛は27歳の時家督を相続し、姫路城主となります。最初は織田信長に仕え、のち豊臣秀吉の軍師として毛利氏との和解(中国大返し)などに軍功がありました。

秀吉は、その底知れぬ才を恐れ、かえって冷遇したとも伝えられています。


さて、冒頭の言葉ですが、下剋上の戦国時代ですから、大名といえども意のままに家臣を操縦できた訳ではありません。


「三十歳を超えてやっと実感することだが、武士を使うのにはコツがある。夏に火鉢を抱くかのような、日照りのときに傘をさすかのような、無駄とも思えるほどの堪忍を守らなければならない。そうしなくては家臣は自分に服してこないのだ。」(「武士道 サムライ精神の言葉」)


火鉢とは、大きな鉢に灰を入れ、中に炭火をいけて手足をあぶり、室内を暖め、湯茶などを沸かすのに用いた暖房具です。その火鉢を夏に抱くというのですから、大変な辛抱といえます。

官兵衛は、家臣に何か問題があったときも、まず昇格させたり金銀衣服を与えたりした上で、数日してから注意したと言われています。

そこまでしなくても・・・と思いますが、それほど戦国時代の人間関係は熾烈だったのでしょう。

夏に火鉢を抱くというのですから、まさに無駄と思えること、むしろ苦痛に感じることですが、いずれ役立つ時が来るから、夏であっても手放す訳にはいかない(部下とはそういうものである)、そのような意味で火鉢に例えたのでしょうか。


弁護士 臼井 義幸